2014年も終わりに近づいているのでエンドユーザープログラミングがどのように実現されるのかスタートアップ界隈の視点から想像してみた
チラ裏なのでノークレームノー罵倒でお願いします
世の中には課題に気付いた人間と気付かない人間がいて、気付いた人間の中でも、プログラミングで解決する人間と何もしない人間がいる。その差は「プログラミングで解決する絵が想像できるか否か」という「なじみ」の問題が大きく、なじみがあれば今それを解決すべきか思案する段階に移れる。
— ゴミクズ(˘ω˘) (@_sgtn) 2014, 10月 22
一方でプログラミングになじみがなければ、プログラミングを習得するコストはおろか課題を解決するコストも不明瞭なので、課題のコストと報酬が計算できずに「そもそも解決できるとすら思わない」という結果に終わる。これが「道具がアイデアを支配する」という状態の一例だと思う。
— ゴミクズ(˘ω˘) (@_sgtn) 2014, 10月 22
では仮に、よりエンドユーザーのためにデザインされたmilkcocoaが開発されたとして、それが「日常の課題に気付いた全ての人」になじみ深くなりえる良いデザインを備えていたとする。そのとき、「日常の課題に気付いた全ての人」が「この課題は今解決すべきか」という判断の段階まで進む。
— ゴミクズ(˘ω˘) (@_sgtn) 2014, 10月 22
もちろん、「課題に気付いた人の全て」にはいろいろな背景知識が考えられるので、全てのユーザーにとってなじみ深いデザインを実現するためには工夫が必要だけど、多彩な抽象度でプログラミングを行う道具を提供できるように努力することはやり方のひとつに挙がると思う。
— ゴミクズ(˘ω˘) (@_sgtn) 2014, 10月 22
おそらくこれが「エンドユーザープログラミングの世界」と呼ばれるものの姿だと個人的に推測した
— ゴミクズ(˘ω˘) (@_sgtn) 2014, 10月 22
当然、「日常の課題に気付いた人の全て」がmilkcocoaをなじみある道具として使えたとして、専門的知識なくして優れたプロダクトやアーキテクチャが作れるとは全く思えない。なので、milkcocoaで作られたプロダクトがプロトタイプを超えて製品と呼べるようになるためには助力が必要だ
— ゴミクズ(˘ω˘) (@_sgtn) 2014, 10月 22
「日常の課題に気付いた人が作ったプロトタイプがプロダクトになるために必要な助力」がどのようにして提供されるかはmilkcocoaの責任の外側なのかもしれないし、場合によっては内側なのかもしれないけど、これから先、課題を解決するために必要なものを揃えたフレームワークが生まれると思う
— ゴミクズ(˘ω˘) (@_sgtn) 2014, 10月 22
そのフレームワークに含まれるものは、プロトタイプに本当に価値があるか確かめる方法だったり、間違った機能にリソースを割いてないか確認する方法だったり、プロトタイプを洗練するために必要なお金や仲間を集める方法だったり、どうしたらユーザーが喜ぶプロダクトが作れるか知る方法だったりする
— ゴミクズ(˘ω˘) (@_sgtn) 2014, 10月 22
そのどれもが思想のレベルから理解することを求める難しいものだけど、それを助ける補助線のようなプロダクトとしてProttやMixpanelなどの製品が使われ初めているんだと思う。
— ゴミクズ(˘ω˘) (@_sgtn) 2014, 10月 22
田舎者が分不相応にもHikarie.goに行った話
こんにちは
この頃のfrontendの開発環境の複雑さに舌打ちする@_sgtnです
Hikarie.goに行ってきました
原因不明の揺れで倒壊待ったなしらしいヒカリエ上層部、DeNAさんでハンズオン形式の勉強会でした
きっかけ
仕事の関係で東京に越してきたばっかりだったので友達が欲しかった
Docker, Libswarm, Kubernetesなどのコンテナ管理ツールのソースを読んでて気になってきたので来ました。あと@_kai_inuiから教えてもらったHashicorpというVagrantなどを作っている会社がとてもイカしたGolangの会社だったので。
@_sgtn http://t.co/jMq7G4O0SB 倒壊前のヒカリエで開催される模様. 補欠ですけど
— 俺のミームを受けてみろ (@T_Hash) 2014, 8月 11
ミームさんありがとうございました
得られたもの
内容
nodeのすごいひとにしか見えない@yosuke_furukawaさん
のお二人が主催でした。
時間があったので受付から手伝うことに。
ヒカリエ11F綺麗ですね。
ベタですが受付のお姉さんも綺麗です。
そして20F(たしか)のDeNAさんもきれいですね。
隣の部屋でアイドルがキャーキャーいってたようですが、ショールームというサービスの関係らしいですね。
閑話休題。
ハンズオンの内容
@yosuke_furukawaさんのgithubリポジトリ
を見ると分かるのですが、
という流れになっています。
もくもく書きます。
気付いたこと
- やはりerr変数多用するなあということ
- import部分非常に読みやすい
- importで呼んだのに使ってないライブラリや、宣言して使ってない変数はコンパイル時にエラーを吐いてくれるので変なところで苦しまなくて良い
- 自分で定義した型にinterfaceを使って関数を追加する様がオブジェクト指向と似ているがどこか違っていて新鮮だった(型システムを学ぶ必要性を感じる)
- 文字列をbyte型で扱うところやポインタを扱う面はあるけど、アレルギー反応を起こすことなくすんなり使える
よく分からなかったところ
- 2章でnet/httpを呼んでいた際に内部的にgoroutineが使われていたりしたけれど、自分で書けと言われるとムムムとなる
m := user.(map[string]interface{})
という一行の解読の辛さ(structやmapの扱いを知らねば)- 「rubyで言うところのインスタンス変数っぽいことがしたいんだけど・・・」とか思ってもすぐに目的の情報にありつけない。golangの語彙を身につけねばならない。
お開き
なんとsushiが出ました。なんたる財力。ありがとうございます。
PRMLやjuliaやErlangやHaxeや、こないだローンチしたmilkcocoaやSFラノベの話などしながら楽しい時間を過ごせました。
Hikarie.goで得たもの
学習とか成果とか突きつけられるプログラマーという仕事ですけど、プログラマーとしてリアルを充実させるやり方はいくらでもあるんだなあって感想を抱きました。
福岡から東京にきて4日程度ですが、なんとか生きていけそうです。
宣伝
milkcocoaの便利さをもっとたくさんの人に分かってもらいたい、のですが、とてもじゃないけど今の状況からコードを書き始めるのはハードルが高いので、技術ブログ的なことも始めます。よろしくお願いします。
ライトユーザー向けに進化していく(予定の)開発ツール, milkcocoa. 公開させていただきました.
Backend as a Service, 始めました.
-
Milkcocoa - JavaScript一行に詰め込まれたバックエンド
-
初夏のころよりTechnical Rockstars 社にJoinさせていただき, 主にインフラやログ周りを担当させていただきました.
-
開発3名, デザイン1名(非常勤), グロース1名という小さなチームだったので, 現場はさながら阿鼻叫喚のサバイバル状態でしたが, どうにかBaaSという重たいプロダクトを公開することができ, 今はほっと胸をなでおろしております.
-
IaaS, PaaS, SaaS, BaaSと続き、バックエンドエンジニアリングの抽象化の流れは年々加速しており, RailsとJSの相性やフロントの開発環境の複雑さなど難儀なことが多い時代となって参りました.
-
我々はできるだけプロダクトを作る負担をエンジニアだけでなく, 初学者に対しても小さくしていきたいと考えています.
-
Milkcocoaはリアルタイムなゲームやログ収集を始め、無限の可能性を小さな労力で得られる良いツールであり, 今後はその良さをさらに引き立てるように性能や安定性を向上させたり, 補助となるツールを増やしていくつもりです. 技術的には既に取り入れつつあるErlangやHaxeなどに注力したいと考えており, 夢が広がりんぐな毎日であります.
-
堅苦しい言葉が並んでしまいましたが, これ以上語るとプログラミング楽しいぜぐへへという想いと疲れも相まって支離滅裂になってくるのでこの辺にしておきます.
-
皆様, BaaS milkcocoaをよろしくお願いいたします.
よくわからない量子の話、あるいは情報の話。
情報と物質の関係という古き良きサイトを見つけた。
ジオシティーズとホームページビルダーで作られた頭の良いオッサンが作っているであろう解説サイトだ。
↑こんなの
こういうのを見つけるたびに、街中ですれちがう人たち、いろいろ闇を抱えてるんだろうなあ、と思う。
内容は「量子寄りの計算機科学かじった人の科学哲学」って感じ。
情報ソースは明示してあるようだ・・・数式もソースコードも出て来ない類・・・いや、良いんですけどね・・・自然言語のロジックは破綻を含んでいても気付きにくいから警戒せざるを得ない・・・
トンデモ科学を疑いながらも興味津々で読み進める。
量子力学は、物質と情報とが絡み合う奇妙な世界を扱う理論なのだ。
量子現象の謎を解く鍵は、量子現象と情報概念との不可分な関係にある。
おお!俺たち(エンジニアや科学者)に言えないことを簡単に言ってのける!そこにシビれるあこがれるぅ!
しかしこれは、各方面から猛烈なマサカリが飛んできそうな言い草ですね。
どっかの学者か、挫折したオジサンが趣味で築き上げた独自理論、おそるべし。
いやでも、物質の形態に認識主体が意味を与えて情報になる、その最小のインターフェースが量子なのか・・・。ニューロンの膜電位やそろばんや真空管や半導体が情報を保持しうる仕組みとしての物質と情報・・・気になる・・・。
査読済み論文でもないので信憑性皆無ですが、面白そうなのでもうちょっと厳密な根拠が知りたい、ということで読み進める。
以下、目次で気になった箇所を中心に解説。
うーん。タイトルの疑問を解消してくれるような結論めいたものは無し。
これは期待はずれか・・・?
これはグレッグイーガンの順列都市マニアな私にとっては垂涎もののテーマですね〜〜。 円周率πの中の循環小数つまりランダム数列からシェイクスピアの全集から世界をシミュレートするソースコードまで取得できるという脳汁テーマでございます。
さて、このページでは問いが発せられます。
無限小数は、記号としての役割を果し得るのか?
数字がランダムに並ぶ無限小数に個性はあるのか?
そして答え
二つの無限小数が同じか否かを判定する一般的手段はない
無限小数は情報として伝達できない
無限に続く数字列は記号の本質であるディジタル的性格を持たない
この小数は、ウィトゲンシュタインの言う「語り得ないもの」の実例である
おお!おもしろい!これは頭の良い人の着眼点や! 近頃、科学的方法論で扱えない観察不可事象に対するアプローチを考えていたんですよ!何かヒントがあるかも! ちょっと見直したぞ、ホームページビルダーおじさん!
でもちょっと過激だなってのはこのへん
数字がランダムに並ぶ無限小数は論理と矛盾する存在だ。
数学者がこの状況に気付かないのは実に不可解だ。
基本的に神経科学者と物理学者と数学者を目の敵にしております。
しかし、科学的方法では到達できない地点を哲学的思考実験で整理仕様というモチベーション自体はとても理解できるものであります。(世の中には<ウィトゲンシュタインの言う「語り得ないもの」>がたくさんありますもんね)
とのことですが、これは「個性」というオリジナル定義ワードにまどわされてしまうのでアレなので、厳密さをある程度犠牲にして簡単にオジサンの言いたいことを要約します。
曰く、
想像してごらん、無限小数を考えうる限りありったけ全部並べきってみよう。
そこからちょこっとテクニック使って
『いつだって』新しい無限小数をもう一個作れてしまったとしたらですよ、
『考えうる限りありったけ全部並べきる』なんてことは
『いつだって』不可能だと言えるんじゃないですかねぇ・・・?
と言った訳だけど、それって『無限少数を横にずっと記述しきる』ことを
前提としていてアウトじゃないですか?
とのこと。
さて、これって数学マンからマサカリが飛んでくる案件なので言及するものヒヤヒヤものなんですが、「無限」という概念を定義して証明に盛り込む時点でそのあたりの定義付けはされているんじゃないんですかね?ちょっとこのオジサン数式あんまり使わないし感覚で言ってるんじゃないか疑惑感じますね僕。
完全な三角形は数学的イメージとして存在するのに、完全な三角形はデジタルで扱えないから数学は不完全だ!
みたいな主張に感じる・・・。三角形のイデアや無限のイデアや虚数のイデアは「あると定義する」ものでしょ・・・。
連続体濃度には曖昧さがある
これも前述のカントールさんの内容に絡みますね。
現代集合論の出発点であるカントルの定理は 「実数の濃度は、自然数の濃度より大きい」ことを主張する。 しかし、先の議論からこれは定理ではなく公理とすべきものだ。 ランダムな無限小数に個性(=実在性)を認めること ⇔ 実無限を認めること である
おうふ。これは・・・。
概念の実在性って数学においてそんなに大事だったっけ・・・。
現実に無限が存在することは科学的方法論で観察しうることの範疇ではない形而上学なのは確か。
しかし、数学的対象としての無限は虚数と同様に実在しなくても良いし、無限小数も同様なのでは・・・。
誰か解説plz...
(1)情報の定義 (2)情報表現物質(情報対応物質) (3)情報の読取り (4)読取り結果の利用
物質→情報の変換の定義、気になっていたけど定義てきでいなかったので面白かった。
自然言語によるモデル化という意味で哲学は面白い。
ニューラルネットが定義する情報は明示的に定義されない 脳の内部で情報が (1)記号化されて表現されているのか(明示的情報)、 (2)記号化されないで分散的に表現されているのか(非明示的情報) について熱心な議論がある
外部から存在を客観的に確認できない情報(主観の領域の情報)として非明示的情報を定義したのかな
情報と物質の相互作用を実現する機械
「非物質的な情報は、物質に直接作用できない」 という結論を心身問題に敷衍すれば、 「心という非物質的な存在が脳という物質に直接作用できない」ことは自明だ。 心身問題の解決には先ず情報物質問題を解決する必要がある。
情報→物質の作用を知ることは大事かもしれない。
意識が脳という物体に作用するインターフェース、謎だもん。
これは観察しようが無いから科学という方法では扱えない形而上学の問題。もちろん極限まで客観的事実を集めることは推論を容易にするけど。
情報という物理で扱える範囲外の事象が、電子の運動を制御していることを科学と哲学の両サイドから議論しよう
というのがこのサイトの狙いっぽい
物理法則による説明には一般に時間概念が不可欠だ 一方、関係駆動型制御/情報駆動型制御システムの理解にはメタ因果律が不可欠だ
キーワード
ちょっとよくわからないけどなんかすごい(適当)
球あるいは立方体の何れかの形状をもつ物体がある。 物体の形状を認識して
(1)球であればそれに近づき
(2)立方体であればそれから遠ざかる
仕組みをもつシステムを考える。
このシステムの現象は物理法則のみで予測できるだろうか?
システムの機能を実現するには形状認識という情報処理が必要だ。
球や立方体という概念は、原子/物体の大きさ/質量などの物質的属性に還元できない。
従って、このシステムの現象を物理法則のみで予測することは不可能になる。
(1)情報が非物質的概念であること
(2)情報は動物の脳で定義されて生成されるものであること
を考慮すれば、動物に関する現象を物理法則のみで説明することは不可能だ。
この点は同意
時計は「時間を計る」機械ではなく「時間情報を定義して出力する」機械
時計で時間を計る」という言い方は、日常的に使われる。
これは、時間が実在することを前提にしている。
その点に問題がある。
今後の論理展開のための準備項っぽい
読み物として面白かった。物質波を定義する波動関数について、実際に物質が波として存在するのではなくて、未確定情報 を波としてモデル化しる解釈で系を再構築すると納得いくよねって話。
ふう、疲れた。でも面白かった。根拠が弱い点、査読を経てない点、穴は多いですが、着想の出発点としては大変よい教材ではあると思いました。こういった哲学的下地をしっかり学ぶほど課題が明確になりモチベーションが上がって良いですね。
心のアーキテクチャについて
社会的所属がないことは、そんなに不安なことか? - 空想島(6畳半)より
みなさん、なにかしらの「自己肯定感」がないと不快っぽいですね。
なんでですかね。
「あの人みたいに綺麗になりたい」
「起業家としての俺かっこいい」
「科学が楽しい」
「禅の神髄を極めたい」
「あいつより稼いでいる」
そういった「心の支え」を何かしら用意しないと人は心が不安定になる傾向があるっぽいですね。
「心の支え」つまり「信仰」「信条」「宗教」「信念」って表現したらいいのかな。
自分の中に「ルール」を設けることで、人はそれを勝利ひいては幸福への指針としているっぽい。
どんなルールを設定するかによって意思決定とか性格とか趣味が芋づる式に構築されていくと思うんだけど、あなたはどんなルールをどのように設定していますか?
たとえば、戦略の階層を個人向けに修正 : 地政学を英国で学んだに見るように「抽象的な信念から具体的な手段へと階層構造を作る」というのがひとつのライフハックとしてある。
「暖かい家庭を作る」という信念(大分類)を持っていたとして、「仕事を頑張る」という手段(小分類)を選んだとき、子どもが死んだり妻が死んだ場合、信念を成立させる前提が崩壊するために精神の不安定感は増すと考えられる。
この例から示唆したいことは、「信念の粒度を細かくすると危うい」ということだ。信念に失われやすい要素を含有させると、長い人生の間で何度も何度も傷つき動揺するハメになるだろう。
社会的所属がないことは、そんなに不安なことか? - 空想島(6畳半)で言う「社会的所属」も信念の構成物なんだろうな、と思った。
福島が大変なことになっているので鼻血報告アプリ作りましょうか
こんな記事が目にとまりました
『美味しんぼ』作者・雁屋哲氏「福島に行って鼻血が止まらなくなった。東北地方の海産物は食べられなくなる」 - 真実を探すブログ
これは由々しき事態ですね、どの地域でどのくらいの人が鼻血に苦しんでいるか定量化して早急に対策を打つ必要がありそうです。
Foursquareのように鼻血がでたらその位置情報をチェックインするアプリなんてどうでしょう。単位時間中の鼻血ユーザー数をその地域の総DLユーザー数で割れば「鼻血指数」が統計的に有為な感じで出ること請け合いですね!!!
追記
ギャグです。マサカリを投げないでください。
物質とデータ、そして物語の限界と人間の限界。
最近、物質とデータの関係について考えます。
そろばんの珠そのものは物質だけど、そろばんはデータを保持することができます。
それはそろばんの珠の配置、つまり「物質の状態」が「意味」と対応しているからです。
同様の構造は他の物質にも見られます。
メモリの中でデータを保持する電子は、0.7V以下で0、それ以上で1を意味する、と聞いたことがあります。つまり「一定量の電子の粒が集まっている状態」のことを1とし、そうでない状態のことを0としているということになります。
真空管も、電子将棋も、日時計も、脳も、ありとあらゆるデータの根底には物質の状態が潜んでいます。
ですから、どんなに人間よりすぐれた意識が存在しようと、それも物質の状態に根ざしていると考えることができますし、裏を返せば、脳よりも優れた緻密な物質で「状態と意味の対応」を考えることができれば、「意識よりも優れた知性」を実装することが可能なのではないか、とも思うのです。
こういった妄想は生きている間に実現できるかわからなくて悲しいのですが、SFならそれを擬似的に楽しめるのでSFは大好きです。しかし最近のSFは現実に追いつかれ気味で、現実と空想の差異が小さくて楽しくないとも思っています。
Singularity以降の人類を描くSFを期待しているのですが、ジョジョの荒木先生が岸部露伴をして云わしめた「リアリティだよ!リアリティこそが作品に生命を吹き込むエネルギーであり、リアリティこそがエンターテイメントなのさ」という言葉がいやにひっかかります。
余談ですが、常々わたしが思っているのは、「物語というものは、物語内で設定したルールに則っていれば何を起こしても良い」という原則で、特にミステリーにおいて顕著なこの傾向は、「はじめにその世界の公理を説明して、要所で公理を応用した展開を見せつけて読者を驚かせる」という良くある技の説明に適しています。つまり、これこそがリアリティの正体であり、「その世界でありそうなこと」を緻密に描くことが読者の納得と驚きにつながると思うのです。
少し横道に逸れましたが、「Singurality以降の人類」という公理を元に演繹される「ありそうなこと」をいかに作者が知恵をしぼったとしても、大半の読者にとってそれは共感不可能であり、それを共感可能な演出へと変換することも骨が折れ、とてもじゃないですがSingurality以降の世界を物語にして商業ベースに乗せるのは無理なんじゃないかと云う想いがひっかかりの原因なのだなと思い至るのでした。
つれづれとくだらないことを書き綴りましたが、「人間の限界」というものをひしひしと感じる今日この頃です。