心のアーキテクチャについて
社会的所属がないことは、そんなに不安なことか? - 空想島(6畳半)より
みなさん、なにかしらの「自己肯定感」がないと不快っぽいですね。
なんでですかね。
「あの人みたいに綺麗になりたい」
「起業家としての俺かっこいい」
「科学が楽しい」
「禅の神髄を極めたい」
「あいつより稼いでいる」
そういった「心の支え」を何かしら用意しないと人は心が不安定になる傾向があるっぽいですね。
「心の支え」つまり「信仰」「信条」「宗教」「信念」って表現したらいいのかな。
自分の中に「ルール」を設けることで、人はそれを勝利ひいては幸福への指針としているっぽい。
どんなルールを設定するかによって意思決定とか性格とか趣味が芋づる式に構築されていくと思うんだけど、あなたはどんなルールをどのように設定していますか?
たとえば、戦略の階層を個人向けに修正 : 地政学を英国で学んだに見るように「抽象的な信念から具体的な手段へと階層構造を作る」というのがひとつのライフハックとしてある。
「暖かい家庭を作る」という信念(大分類)を持っていたとして、「仕事を頑張る」という手段(小分類)を選んだとき、子どもが死んだり妻が死んだ場合、信念を成立させる前提が崩壊するために精神の不安定感は増すと考えられる。
この例から示唆したいことは、「信念の粒度を細かくすると危うい」ということだ。信念に失われやすい要素を含有させると、長い人生の間で何度も何度も傷つき動揺するハメになるだろう。
社会的所属がないことは、そんなに不安なことか? - 空想島(6畳半)で言う「社会的所属」も信念の構成物なんだろうな、と思った。